enotetuのblog 東淀川区の歴史雑記帳

「enotetuのblog」で検索していただいた方が、早く表示できます。 東淀川区の歴史を深掘りします。月はじめと中旬の月2回配信予定です。

 6月19日(日)に私の参加する「東淀川魅力発見プロジェクト」で水道記念館の見学と旧柴島村のまち歩きをしました。この時の順路にしたがって紹介していきます。水道記念館(WATER MUSEUM) 水道記念館は大正3年(1914)に完成した柴島浄水場(当時は柴島水源地と言ってい ... もっと読む

 前回の続き、船番所の説明からですが、今回は趣味的に書いていますので、東淀川区は出てきません。この文章は、主に『大阪の歴史』73号(平成21年7月、大阪市史編纂所編)の「大坂船手の職務と組織」(吉田洋子)と『新修大阪市史』とによって書いています。大坂船手 元和 ... もっと読む

今回は江戸時代の船運の話です。「雁木」は船着場の階段ですが「岸岐」は? 東淀川区とは平田の渡しの沢田左平太で繋げました。 ... もっと読む

今回は「東淀川区のバス路線の変遷」です。一番最初は昭和2年、淀川北岸の唐崎―柴島間を走った茨木広運社でした。それを新京阪鉄道が買収します。その後京阪バスとなります。京阪バスは戦後、阪急バスに代わりますが、大阪市バスとの競争に敗れ撤退します。 ... もっと読む

10年前に解体撤去された築400年の渡辺家のすぐ横に、ゆかりの公園を作ろうという計画が進行中です。 ... もっと読む

「江口街道まち歩き日記」の後編です。江口の君堂―一津屋樋門―三千樋ーせせらぎの遊歩道―逆巻地蔵尊―大隅西会館―瑞光寺 と続きます。 ... もっと読む

3月26日のまち歩きの報告です。写真は瑞松寺本堂天水溜の力士像です。普段紹介できない記事を日記風に書きました。 ... もっと読む

「東淀川区の歴史雑記帳」を更新しました。今回は『三番村の引越し先』です。現在、三番の真宗寺院「定専坊」が改修中です。#enotetuのblog ... もっと読む

 はじめに、「東淀川区の歴史雑記帳」第1回まち歩きは3月26日が雨のため延期になりました。そのため、あらためて3月16日(土)に開催いたしますので、皆さんのご参加をお待ちします。(文末に募集要項を掲載しています)『河川法施行並びに準用河川の河川区域認定・変更及 ... もっと読む

 最初に「第1回まち歩き」の参加者を再募集します。現在の応募者は少数でしたが、「蔓延防止」の最中でしたので少人数でよいと考えていましたが、3/21で終わりそうなので再募集します。詳細は最後に掲載しましたので、ぜひご参加ください。 本文に入る前に一つ訂正があり ... もっと読む

神崎川樋門完成までの神崎川分水口の歴史 現在の一津屋樋門は昭和62年の完成で、明治38年完成の神崎川樋門から数えて4代目となります。近代の樋門の歴史を述べる前に、今回はこの神崎川の分水口の歴史を述べます。 まずは延暦4年(785)の三国川の開削です。教科書でもご ... もっと読む

第1回まち歩き募集メールアドレスの訂正と参加のお誘い 前回、第1回「東淀川区の歴史雑記帳」まち歩きのご案内を掲載しましたが、参加のメールの宛先が1字間違っていました。おわびするとともに訂正し、再度本文末に掲載しましたので、ふるってご参加ください。大隅西会 ... もっと読む

復活のパワースポット 松山神社 松山神社は長岡天満宮・服部天神宮とともに阪急電鉄が「三天神めぐり」として売り出しています。1月・2月は受験シーズンでもあり、梅の季節で2月25日前後の日曜日には「梅花祭」を開催しているようですし、戎社を勧請していて今年の十日戎の ... もっと読む

 前回一津屋共同取水場について書きましたが、現代史&マイナーな存在なので皆さんの興味を引かなかったようです。しかし、東淀川区内には柴島浄水場だけでなく多数の取水施設があり、区内を縦横に送水管が走っていることを知っておいてほしいので、続きを書きます。 上記 ... もっと読む

 戦前の江口取水計画は挫折しますが、神崎川との分水口に一津屋取水場が建設され、昭和39年一部通水開始し42年に完成します。ここから柴島浄水場にも原水が送られています。一津屋取水場 昭和36年(1961)8月に神崎川樋門の上流側に新しい一津屋樋門が建設されます。そして ... もっと読む

大阪市の江口水源地計画  今回は『大阪市水道拡張誌』(大正4年6月 大坂市役所)をもとに書いています。 御承知のように大正3年(1914)、東淀川区柴島に柴島浄水場(当時は「柴島水源地」と呼ばれていました)が開設されますが、実はその前に江口を水源地とする「吹田案 ... もっと読む

 まず現在の風景を見て下さい。中島用水路と府道大阪―高槻線の交点であり、用水路本支線の分岐点です。中島用水路が上新庄からここまで埋め立てられて府道ができたので橋はありませんでした。用水路の水はこの手前から支線の方にだけ流れ、それも埋め立てられると「せせら ... もっと読む

 上の写真は今の大阪経済大学西校舎あたりから上流の写真です。左の林は今の瑞光老人憩いの家のある小山から続く林だと思われます。 ほぼ同じ位置からの写真ですが、私の小学校時代の通学路であり、遊び場であった昭和30年代後半そのままです。周りはニセアカシアの林で、 ... もっと読む

 11月6日(土)のブラタモリ『江戸の水』編を視られた方も多いと思いますが、玉川上水の工事を関東郡代伊奈半十郎忠治が玉川水道奉行を命ぜられており、伊奈一族は利根川東遷に活躍したと紹介されましたが、この伊奈一族は大坂冬の陣でも土木工事で活躍しています。『摂津市史 ... もっと読む

 江口の君堂から淀川堤防の方に50mほど行き、信号を過ぎて堤防を下ると堤防の石垣に「三千樋」の扁額(プレート)が埋められています。しかし本来の三千樋はこの右側、低い石垣が並んでいる所にありました。 三千樋は明治30年代の淀川改修工事に伴い、淀川・神崎川・旧中 ... もっと読む

 「江口の君堂」の正式名称は「宝林山寂光寺(じゃっこうじ)」という日蓮宗のお寺で、鎌倉時代から続く名刹です。それなのに観光地化されず、江戸時代のままのような落ち着いたたたずまいで、心がいやされます。代々尼僧が住持されているそうで、俗世間と一線を画している ... もっと読む

 東淀川区の歴史に興味のある方は東淀川区に食い込んでいる東西御旅町をご存じだと思います。この御旅町に関する古絵図が一つのテーマとして取り上げられている古絵図展が開催されています。『吹田の絵図展』の会期は11月14日(日)までです。小規模の展示会ですが入館料200円 ... もっと読む

  この地蔵尊の正式名称は「除難地蔵尊」で弘化3年(1846)7月、淀川本流と新川の分岐点の逆巻村の堤防上に建てられました。『淀川両岸一覧』でもわかりますが、船の人びとからよく見えるように台座を含めると2メートルを超えるかという大きな石仏です。普通石の地蔵さ ... もっと読む

 まず、前回の『大隅神社の「狛犬五兄弟」』に、訂正と写真を追加しました。それを確認していただいてから戻っていただきたい。応神天皇祠の八幡神社この八幡神社と次の稲生神社については、主に『西成郡史』と三宝寺振興町会の『50周年記念誌』『80周年史』をもとに書いて ... もっと読む

大隅神社のリーフレット  前回は大道寺・大道家から見た大隅神社の由来でしたが、では大隅神社側からはどのように書いているのか、『大隅神社略記』という大隅神社発行のリーフレットを見てみましょう。記載されている「御由緒」をそのまま掲載します。【註:ルビはカッコ ... もっと読む

 大隅神社と大道寺―大道家・大道製薬について―『西成郡史』【註1】によれば、大隅神社は加茂大明神を祀り、真言宗無本寺の兼帯所であったが、貞享3年(1686)に肥前国、長崎皓薹寺の玄光という高僧が曹洞宗に改宗し名を三大院乳牛山大道寺と改め、一時は修行僧100名を数 ... もっと読む

1.はじめに  先日、ブログ「takaginotamago」内の「淀川の空を飛んだ滑空機」を読んでいて、戦時中のグライダー部の活動が出ていました。大阪府立北野高校同窓会の「六稜WEB」内の六稜会報No.26内「六稜クラブ活動小史 グライダー部」のことです。この中に「豊里滑空場 ... もっと読む

 川端康成は天満の天神さんのそばで生れ、茨木で育ったことはよく知られていますが、一時期を母の実家である東淀川区豊里でも過ごていました。しかし、彼にとって豊里は、2歳にして両親を亡くした土地であり、旧制中学3年の時祖父を亡くして天涯孤独となり、半年ほど伯父方 ... もっと読む

 まず最初に、『大阪の橋』『八百八橋物語』の著者、松村博氏が書かれた「六稜同窓会」のHP内「六稜・大阪学講座>大阪の橋」を参照してください。長柄橋の総合的な解説が述べられています。  https://www.rikuryo.or.jp/home/column/bridge.html①     初代長柄橋は2 ... もっと読む

 江口橋は現在府道大阪―高槻線の神崎川に架かった橋として、交通量は多いようです。しかし明治・大正期は主要道路ではなかったので記録にはほとんど出てきません。そのため、この橋が明治の初めに架けられた有料の「銭橋」だったと知る人は少ないようです。① 初代江口橋 ... もっと読む

  平田の渡しですが、東淀川区側は「平田の渡し跡」、旭区側は「平太の渡し跡」と違う字が碑には刻まれています。また、旭区側の橋のたもとの銘鈑(上記写真)には「平田渡しの跡、延宝4年以来・・・」と開設年まで断定して書かれています。松村博氏は「平田渡しは平太渡し ... もっと読む

   ①  豊里大橋の展望デッキ 豊里大橋は昭和45年3月に大阪万博に間に合わせて開通しました。詳細は『大阪の橋』『八百八橋物語』の著者、松村博氏が『六稜同窓会公式サイト』の「WEB連載」に連載されたものがよくわかると思いますので、これを先に読んでください。 ... もっと読む

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